作曲・指揮研究室の歩み(1987−)
しかし、ラボが独自の取り組みに大きく踏み出したのは93年、伊東 乾がジェルジ・リゲティから「エッシャー・自動演奏楽器・コンピュータ」という音楽を考えるの三つのヒントを貰って以降の事でした。95年春「源氏物語」(松平頼則)の世界初演を終えたあと、伊東は労作性のめまいを病み、暫く立つ事も演奏することもできない時期を過ごします。この時期、耳鼻科で受けた検査とくに聴覚末梢や脳のイメージングと、偶然知った下條信輔氏(カリフォルニア工科大学、当時は東京大学助教授)の錯覚の脳認知研究の接点から「聴覚的錯覚 Auditory Illusion」「聴覚的場の解析 Auditory Scene Analysis」などの考え方を知った伊東は、下條研究室のゼミに参加、翌年下條教授の渡米に際して東京大学大学院総合文化研究科表象文化論に社会人大学院生として籍を置き、ノーノやリゲティ、ブーレーズから示唆された問題の20世紀末年のデジタルコンピューティングを用いて解決する取り組みを開始、シェーンベルク以来の「語ることと歌うこと」の弁別など、幾つかの問題を部分的に解決し「動力学的音楽基礎論」(1998)で博士の学位を得、翌99年、NTTコミュニケーション科学基礎研究所で音声のシニュソイダル分解を用いた最初のスーパースペクトラルの取り組み「マルセル・デュシャンとジョン・ケージによる能オペラ<邯鄲>」の仕事に着手、この間に東京大学から招聘を受け、大学院情報学環・作曲指揮研究室が発足しました。
2004年、東大病院整形外科・渡会公治助教授の指導のもと、指揮とピアノ演奏を念頭とする術式で解剖を行うとともに、ピエール・ブーレーズの協力を得、指揮の技法を呼吸と共に制御される関節の回転角速度の問題に一元化する取り組みを開始、後にペーター・エトヴェーシュの助言を得、2007年までにコンパクトなメソードにまとめることに成功しました。
これと並行して2004年からは島津製作所の協力を得、fNIRS機能的近赤外光スペクトロスコピーの技術を用いた演奏中やコンテンツ視聴中の脳血流内の酸素濃度の測定に取り組み、伊東はオウム真理教事件でのメディア・マインドコントロールについて「さよなら、サイレント・ネイビー」の仕事をまとめました。この仕事の延長ではルワンダ共和国大統領府の招聘でキガリ工科大学、ルワンダ国立大学に滞在した折には、ラジオの音楽番組が陽動したジェノサイドの再発防止の取り組みなど、応用面に力点を置いています。なお基礎科学の観点ではfNIRSの測定は必ずしも再現性が高くなく、個体差等もあることから、定性的な傾向を指摘するに留め、定量的・断定的な結論は留保しています。
解剖生理に基づく指揮技法の確立:アンギュラー・ヴェロシメトリックス(動的関節回転制御)